音楽の世界で使われる「グルーブ」という言葉がある。語源はレコード盤の溝のうねりのことだったが、いつしかそれが転じてある種の高揚感を表わす表現になったと言われている。具体的な定義はないとされているが、個人的には奏でられるリズムとそのときの状況が自分の心と共鳴する、あるいはシンクロする体験だと捉えている。
音楽の演奏を聴くということが「グルーブ」を体感するためにもっとも適した状況なのだろうが、僕にはそれとは異なる状況でそれを感じられることがある。長らくシボレーS10ブレイザーというクルマに乗り続けてきた。1992年製のアメリカのコンパクトなSUVだ。4,300ccのV型6気筒OHVエンジンを搭載する。このトルクフルなエンジンの鼓動は明らかに心に作用する。夏の夕暮れ時、茅ヶ崎あたりから鎌倉方面へ国道134号線を自宅に向かって走る。江の島へと続く2車線の道路ではクルマの列が時速60km程度で流れ、僕はウィンドウを下ろして、肘を外に突き出している。そんなとき、不意にエンジンが奏でるリズムと僕の心が共鳴する感覚を覚える。不思議な高揚感、いや幸福感に包まれたその時間は間違いなく「グルーブ」を体感していた。残念ながら現在所有するフォード・エクスプローラー・スポーツトラックでは似たような状況で走っても同じ感覚を得ることはできない。
少し前まで、ハーレー・ダビッドソンのスポーツスターXL1200Sを所有していた。このオートバイであちこち走ったが、もっとも気持ちのいいシチュエーションだったのは、国道16号線保土ヶ谷バイパスのうねりと緩やかなコーナーが続く道を時速100km程度で走らせることだった。きっとこの時も同じような感覚を抱いていたのだろう。ただ、ハーレー・ダビッドソンのようなオートバイで日本の道路を走ることはストレスの方が優っていると感じて結局手放してしまった。
幸いなことに、今所有しているホンダCT110はその感覚を呼び覚ましてくれた。伊豆半島中央部の県道。季節は真夏だ。コーナーが続く田舎道は交通量が少なくて、時速60kmくらいで走ることができる。コーナーを抜けるたびに目に飛び込んでくる美しい風景とさまざまな香り。小さなシングル・エンジンが奏でる小気味よいリズム。これらが一体となって僕の心を満たしてくれる。スポーツスターを気持ちよく走らせる場所にはなかなか出会えなかったが、CT110なら都会を抜け出して少し走れば、心地よい気分に浸ることができる。
ふたつのシリンダーの中で、混合気の燃焼が、くりかえされている。その音やリズムが、そのときのぼくの心臓の鼓動と、ぴったり、かさなっていた。心から愛している直立2気筒の、エンジンがいま生きて動いている。片岡義男氏の小説「彼のオートバイ、彼女の島」の主人公の独白だ。同じことを現実に体験できた自分は幸せかもしれない。
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